新日本プロレス 暗黒時代と高山善廣
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どうも!プロレス大好きおじさんです!!
高山善廣選手が頚椎損傷の復帰未定の大けがを負いました。
今回は新日暗黒期に光を射した高山選手について語ります。
最近、レスラーの大けがが相次いでいます。
高山善廣選手は、おじさんの中では暗黒期突入の新日本の中で、微かな光を射した選手だと思っています。
暗黒期の定義は人それぞれだと思いますが、始まりははっきりしています。
2002年からです。新日の当時主力であった、武藤、小島、カシンが新日を退団した時からです。
おじさんは、普段買わない(お金がなかった)週刊ゴング、週刊プロレスを買ったほど、衝撃とショックを受けました。
そんな中、2002年のG1に当時、時の人だった高山選手が参戦しました。総合格闘技のドンフライ戦で、顔が変形するまで殴られたのがあまりにも衝撃的であり、プロレス界だけではなく、世間的にも有名になっていました。
ノアでもバリバリにやっていた高山の参戦に、おじさんは大喜びをしました。
新日の選手は、大柄の選手が少なく、180cm前半の選手で多くを占めていました。
そんななか、196cmの大巨人相手に、同対戦するのか、ドキドキしながら見ていました。
奇しくも、G1初参戦の後のエース棚橋が高山選手に負けていますね。
決勝戦の蝶野 VS 高山はビデオに録画して何十回も見ました。
正直、細くなってしまった蝶野が高山選手に勝てるのか?と本当に不安に思いながら見ていました。新日は負けてはいけないと。
蝶野のケンカキック、STFで勝利し時、本当にファンになった瞬間だったのかもしれません。
良いことがなかった新日の中に、微かな光が射した瞬間でした……
ここからが終わりの始まりです……
そういう訳で、おじさんの中では高山=暗黒期の始まりという印象が強かったです。
外敵に頼らなければならない状況がすでに危険だと、大人になってからはわかりますが、当時はわかりませんでした。
G1以降も、新日に定期的に参戦をしています。小さな新日本の中に、大きな高山選手はとても良いスパイスでした。
そこから、永田さんがエースになっていくのです。永田さんとライバル的なポジションになっていき、名勝負を繰り広げます。
必殺技の膝蹴り、エベレストジャーマンは、大きな体と相まって、絶望すら与えるインパクトです。
おじさんの大好きなレスラーです。
年齢的にも50歳と、全盛期は過ぎています。しっかりと体を治して、またスケールの大きなプロレスを見せてほしいと思います。